厚切り牛タン、春はそこにあった。たん清@秋葉原
「池袋に住んでる、マナブ」
のちに男は、そう名乗ることとなる。
(今日は牛タンの美味しいお店を紹介すると決めている。ずいぶん前から決めている。決めてからなぜかうっかり半年くらい経過してしまったので、思い出すまで少し時間が欲しい。)
私は大学時代の一時期だけ、宇宙からきたお姫様だったことがある。とある男の中にだけ存在する、宇宙人の姫。
出会いは数年前の午前10時過ぎ、突然の非通知電話。
「……ハァ、ハァ……アァ……」
ーー変態だった。
すぐに切ればよかったのだ。しかし寝起きの私の頭はそれをうまく処理しきれず、ついうっかり爆笑してしまった。寝起きの掠れた笑い声に、もえいずる変態はひるんだ。
変態「えっ、何で!もうちょっとなんかムード……ねぇ、Hなことしない?」
私「しない。何でこんなことすんの?」
変態「そういう気分だったから……」
私「私は違う。じゃ、切る」
変態「まじか」
それが彼とのファーストコンタクトだった。その後何度か変態電話がかかってきたが、毎度私が笑って変態が萎える、そんな調子だった。
そもそも非通知に出るなよという話なのだが、その頃の私は、大学に通いながら別の大学を受け直すため仮面浪人をしていて、孤独な戦いに疲れていたのだと思う。たぶん。
変態「地元どこ?」
私「宇宙」
変態「何してるの?」
私「お姫様」
そんな感じで私は宇宙人の姫になり、なぜか変態も「そっかー」とすんなり受け入れ、
「俺はね、池袋に住んでる、マナブ」と名乗ったのだった。
本当かどうかなんてどうでもよかった。会うことなんて絶対にない。それでも彼が言うことは私の中の真実で、私の言うことは彼にとっての真実だった。
人とコンタクトをとる手段が多様化されたこの現代「どれだけ言葉を尽くしても、伝わらないことがある」と感じることは多い。伝わらないことがいい場合も時にあるけれど。
舌がもっとうまく回ればいいのになぁと思う。舌が、舌が。
時は過ぎ、昨年のある日、摩擦メキシカン氏に誘われたのが牛タンのうまい店こと「たん清」だった。ハツを食べれば心臓が強くなる、タンを食べれば舌が回るようになる、そう信じてやまない私は二つ返事で駆けつけた。
秋葉原駅から5分ほど歩くこのお店、閑静な通りを行くと入口が見える。
開店間もなく入ったのだが、すぐに満員となっていた。
厚切り、と自らハードルをあげる姿勢に期待が高まる
まずはビール(ヒューガルデン!おしゃれか!)で乾杯。
ナムルでウォーミングアップしつつ、牛タン2人前を注文。
ほどなくして運ばれてきた牛タンの美しき姿に思わずオォーとわき上がる歓声。
咲いている……これは、満開と、満開と言ってもいいでしょう!!
ーー秋葉原、牛タン開花宣言ーー
間違いない厚切り!!
思わず確かめた自分の舌とおなじぐらい、いやもっと厚いその姿。
焼く。
裏返して焼く。
ネギを乗せる。レモンを搾る。
分かりますかこの肉厚。
満を持して、口の中にIN。
ーー美味い。
食べごたえ抜群で肉の旨味も感じられて、めちゃくちゃ美味い。満足感がすごい。
(厚さのせいか「舌…」と、妙な気持ちになる瞬間が合ったのは秘密だ)
思っていたよりも、なかなかボリューミー。
変態と妙な形で交流が深まってきたある秋の晩。例のごとくかかってきた電話に、私は笑う余裕を失っていた。
私「いまムシャクシャしてるんだけど。やめてくんない?」
数ヵ月後の受験を控え、模試が悪い判定だったのだ。
変態は荒んだ私に多くを聞かなかった。
変態「上手くいかない事があるときは、整頓すればいいよ。小さな引き出しひとつだけでいい。綺麗にしたら、きっと気持ちが落ち着くから」
私「……」
変態「頑張んなくてもいいけど、結果は出せよ。世の中、過程で評価されることは少ないから。すっきりしたら、あとはやりきって、結果出せよな」
私「……ありがとう」
ーーいつの間にか非通知電話は変態電話ではなくなっていた。
さて、タンを食べつつ、次の肉に移る。
(上ロース、カルビ、ハラミ、豚?……何かそんな感じの肉だった。と思う。なんせ半年前で記憶が曖昧だ)
しかし間違いなく美味しい。ご機嫌になる。イェーイ。
そして特上ロースは塊肉!! 思わず感嘆が漏れる。素人には上手な焼き加減が作れないのを見越してか、ちゃんと切れてるお心遣い。
おそれいります!
切れていても分厚いので、しっかり焼く。このくらいで、中は美しい薔薇色のミディアムレアに。
食べごたえは抜群。肉を喰らっている喜びが体中に満ちてくる。
この後もハシゴ酒、ならびにハシゴ肉をするため、私達はここで切り上げた。その店については、また別の機会に。
言葉は便利で、けれど時に不便で、伝えたいことを100%、なんて難しいのかもしれない。それでも少しでも伝われば、人の気持ちを動かすことができたら嬉しい。
ちなみにとある事がきっかけで、変態から電話が来ることはもうなくなってしまった。
変態・池袋のマナブさん、もし巡り会うことがあるなら、そのときは笑って出会えたらいいね。