三軒茶屋のスペインバルで愛を知った話。
日中最高気温が20度を超えた三月某日、我々二人は三軒茶屋にいた。
とりあえずのビールを注文し終えると、私は友人に「おめでとう」と言った。彼女は先日プロポーズされたばかりなのだ。
数ヶ月ぶりの再会に選んだのは、駅から徒歩数分のスペイン料理屋。
「Taverna & Bar ATTT」
(タベルナ アンド バル アット)
静かな路地の中にぽつんと光るテラス席。一歩足を踏み入れるとそこは、スペインバルならではの鮮やかで洒落た空間だった。我々が入店した19時にはすでに賑わいを見せていた。
友人とは10年近くの付き合いになる。 出会った頃、わんこそばの要領で90杯のビールを飲み干した伝説の女はすっかり大人のレディになっていた。
一級品と言われるイベリコジョータの生ハム。言うまでもなく美味。
ちなみにこの日、お店では夜桜フェアが開催されていて生ガキが破格の108円で売られていた。 わんこそばの要領で、出てくるやいなや食べたので写真はない。
ホタルイカのアヒージョやトリッパ、チーズ盛り合わせ等を頼んでみたが、何もかもが美味しい。多くのメニューにハーフサイズが用意されているので、色んなものをちょっとずつ食べたい少人数にもありがたい。メニューは数百円〜と比較的お手頃価格。
ここで、この店の一押しであるという「コノス」なるものを注文してみる。 聞き慣れない料理名だが、クレープ状にいくつかの具材を巻いた物とのこと。 ウニとズワイガニが選べたので、迷わず両方頼む。
…!!
見慣れないこの巻物を恐る恐る口に運ぶ。ぱりっとしたクレープ地、口いっぱいに広がるウニの芳醇な味わい、続いて下に潜んでいた卵黄の滑らかさが舌先にあふれ、ピューレ状のじゃがいもとアボカドが絶妙なハーモニーを奏でた。
イマジン…イマジンオールザピーポー!
食べるというか、飲むという感覚。ごくりと飲み込むと、思わず呟いていた。
「好き」
一口大なのにこの満足感。プロポーズで花束のようにコノスを贈られたら、たぶん感動でむせび泣く。出会えた奇跡に乾杯。
そういえば、と、結婚の決まった友人にプロポーズの話を聞いてみる。 コノスを口いっぱいに頬張りながら彼女は、 「彼から手作りの巻物をもらったの」と恍惚の表情で答えた。
……巻物? コノス?
「ううん、ちがう。忍者の持ってる巻物」
……?
その後も欲望のままにオーダーし、ワインをガバガバ飲んでいた我々であるが、入店からずっと気になっている料理があった。
何度となく我々の横を通過していく肉塊。イベリコ豚のリブステーキである。しかし すでに心も胃袋も満ち足りてはいた。
−−いける? −−分からない、でも。
目配せで互いの気持ちをはかりあう。後悔はしたくない。迷ったらGO の精神を持つ我々は、隣のグループにそれが運ばれて来たとき、ついに声をあげた。 最近覚えたスペイン語を、酔っぱらった頭の中からひねり出す。
「El mismo plato aquel, por favor」
(エル ミスモ プラト アケル、ポルファボル)
(あれと同じものをください)
見事な発音の日本語訳で伝えると、すんなりオーダーは通った。ほどなくして到着。
でかい。シメで食べるサイズではない。
切り分けてもらったところで、圧倒的肉厚感は変わらない。
ハーブと肉の香りが我々を包む。これが幸福か。
柔らかく絶妙な味付け。満腹なのに、肉を口へ運ぶ手が止まらなかった。ナイフで切るのがもどかしくて、途中から手づかみで貪った。 最高の夜だ。我々は三軒茶屋で愛を知った。
サービスの食後酒までいただいて、したたか酔っぱらって店を出たのは入店から四時間後。 まだ食べたいものが沢山。また来よう、と約束をして私たちは別れた。
ふと電車に乗り込んで、そういえば言い忘れていた事があったと気づいた。
君よどうかお幸せに。そうつぶやきながら帰途についたのであった。