もしも村上春樹が意識の高いデブで、食レポを書いたら(焼肉編)

「完璧な焼肉などといったものは存在しない。完璧な牛が存在しないようにね。」

分かるような気がしますと僕は言ったが、その本当の意味が理解できたのはそれからずいぶん後のことだった。

僕が生まれたのは一九八二年の十一月二十九日だ。つまり――いい肉の日ということになる。記念的といえば記念的と言えなくもない。でもそれを別にすれば――僕の出生に関して特筆すべきことはほとんど何もない。

幼少期から僕は焼肉が大好きだった。その因果関係は不明だが、人よりもずいぶん太っていた。ロックミュージシャンが野外フェスで流すほどの汗を、僕は身動きもしないで流すことができた。

その焼肉店を教えてくれたのは、僕が通う大学の同級生だった。大学に入学後、三番目に寝た女の子だ。彼女は僕が焼肉好きであることを知らなかった。

「私も焼肉が好きでその店には何度か行ってたのよ。前から。ほら、私も幾分か人より食べるのが好きだからね。でもあなたも肉が好きだとは全然知らなかったな。きっと運命みたいなものかもしれないわね。」

彼女はそう言い、店の場所をウェブサイトで教えてくれた。「食べログ」というお店選びで失敗したくない人のためのグルメサイトだ。そして彼女はその焼肉店で使われている食材がいかに優れているかを淡々と語った。僕はため息をついた。机の上に置かれたおしぼりで顔からしたたる汗を拭きながら彼女の顔を見た。僕はなんだか自分が屠殺された牛にでもなってしまったような気がしたものだった。

彼女は僕のとめどなく流れる汗を見て少し困っているようでもあったし、迷っているようでもあった。でもそれとは別に、彼女の顔には何かとくべつな表情が浮かんでいた。

彼女は言った。「あなたって変わった人ね。まるでジョン・アップダイクの『ケンタウロス』くらい――」
「あるいは」と僕は会話を遮った。彼女がジョン・アップダイクについて語り出すと二時間は喋り続けることを熟知してたからだ。

「まあむずかしいことを議論するのはよしにして、とにかく飯を食いにいこう。腹が減った。」

それは、あまりに明白で、圧倒的な事実だ。

「悪くない」と、彼女は頷いた。

彼女が教えてくれた焼肉店でホルモンを食べながら子供の頃の話しをした。僕が初めて焼肉店に行ったときの話しだ。

「あれがハラミだったかどうか、あの頃の僕にはわからなかったんだ。見た目はハラミそっくりだった。でも、ハラミじゃないようにも見えた。僕には確信が持てなかった。だから、食べてみたんだ。」

「それで?」彼女は僕の話の続きを待っていた。

「ハラミだった。さっぱりしたシンプルな味だけど、とても奥行きのようなものがある。僕はそれをビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビー』が流れ終わるまでに十五人前食べ尽くしてしまったんだ。」

「なら――」と彼女は言った。「あなたはハラミが好きなの?」

「とても難しい質問だ」と僕は言った。「でも好きな小説なら言える」

「小説?」

「そう、小説。僕は雨の日の昼下がりに、出鱈目にページを開いて読み始めるスコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』が好きなんだ。」

彼女はちょっとだけ首をかしげた。そして舌の上でミノを転がした。僕は少し驚いて彼女の顔を見た。

「なかなかうまくいかないものね」「なかなかうまくいかない」と僕は言った。

彼女は少し目を細めるようにして僕の顔を見つめ、(あるいは僕の後ろにあるメニューの一覧を見ていたのかも知れない)静かに微笑んだ。そして僕らは二人だけで向き合ってホルモンを食べ、酒を飲んだ。

今日はだいぶ酔ってしまったなと僕は思った。店から出ると彼女は空を見上げていた。僕も彼女と並び、空を見上げた。

「雨になるかしら?」と彼女はまだ口の中にあるミノを飲み込めず、咀嚼しながら言った。
僕は空を見上げ、「まだしばらくは大丈夫だろう」と言った。
「ちがうのよ。私が言ってるのは、あなたの顔からしたたる汗が蒸発して、それが雲になって、そして雨になって地上に降るのかしらということ」

僕はもう一度空を見上げた。そして頬を伝う汗をそのままにした。

「あるいはそうなるかもしれないね」と僕は言った。
もしあのとき滴る汗を拭っていたら――きっと頭がおかしくなってしまうだろうなと僕は思った。

「料理は美味しかったけど、空調の効きが悪かったので星二つ。」

そう書き込んで僕はその店を後にした。どうもありがとう。

摩擦メキシカン

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